2023年1月17日吉日
リーディングマスター・まさみちさん出雲大社参拝。
まさみちさんの近況とメッセージをお届けします。
Facebookの投稿記事より。
出雲に来ました✨✨✨
昨日から出雲に向かう過程と、一晩の間に様々な気づきを受けまして、目の醒めるような気づきも訪れました。
やっとこの時を待っていたかのような大いなる気づきを受けました。
探し求めていたものを見つけられました。✨✨✨
長かった。
ここに在りました。
今から出雲大社に向かいます。
ただいま、「八雲の神書」なる鑑定書を開発中。
十拳の剣と、草薙の剣を合わせた霊剣を込めたものを用意しています。
出雲や八雲の「雲」とした意味がわかりました。
雲が神を表しているからなんだとも。
そして八つの方位に囲まれている意識の有り様に、それぞれの神が出ずるまだ見ぬ神を見ようとする前の段階を八雲としていることも。
その八つが邪に囚われて真の私を見失っている状態を八岐大蛇として意識が呑み込まれて抗えなくなっていること。
十拳の剣でなければ、邪は祓えず、それには黄泉の国から高天原を行き来することが出来る素戔嗚尊となる自在意識が必要であること。
まずは、八雲から神の姿を出ずることから始めて行こうと思います。
「八雲の神書」、八雲鑑定をお楽しみに。
麒麟の具象化
様々な神獣がよく雲の姿を借りて見せてくれることがある。
見分けは、筋反射を精妙に取れる人ならパワーがあるかどうか、見極めがつく。
麒麟などは、土気を放ち全であり中央である為、見え方は見る人に委ねられるから、白虎と見えたり、青龍に見えたりもするから正解探しをすると魔に呑まれかねない。
神事(かみごと)や、幽事(かくりごと)に従事するなら、自らの内面を何処まででも整えて「弥栄」そのものに至らせることこそ道となる。
神道は、全てが自分が映し出している「現世」からどうやったら「常世」だったと気づけるかにある。
霊的な道のりは、支えとなるものが何もなく、自身でいるしかない所から見出さなければならないものである。
形を整えなければ内面に入ることも出来ないし、形に意識するほどに内面に入れなくなる八岐大蛇を飼い慣らしてしまう恐れもある。
麒麟を認識できる眼差しを持つ人は幸いである。
幸魂(さちみたま)には、奇魂(くしみたま)とセットでなければ見出せない道がある。
愛を見出して行きましょう。
大国主の国譲りの神話が思い浮かぶ出雲大社です。
ぐるりと大社を一周して来ました。
大国主は、見えない内なる幽事(かくりごと)を整えて治めなないことには国譲りにも至らない。
天照大神は、顕事(あらわごと)としてとてもわかりやすい証拠の世界。
しかし、見えぬ内面が定かでないまま続けると、天照大神の見える顕事な世界が崩壊してしまう。
親子喧嘩、夫婦喧嘩や、会社が傾くなど望んで求めた世界が叶わなくなる。
引きこもりなんてものは、まさに「天岩戸隠れ」の典型であるし、見せかけだと自覚しながら楽しいフリして笑っているのは自分ばかりで、我が子やパートナーは働いていても楽しそうじゃないなんてこともある。
自分の内なる国、大国主が笑えてないと、伴侶や我が子を心から笑わせるなんて出来ない。
大国主とは何を示しているのか、
須勢理毘売神とは何を顕しているのか、
全ては到達して振り返っても何もないところまで辿り着かないとわからない事があります。
少彦名とかもね。
歩く前や、歩いている最中はわからずとも、歩き終えると見えてくる教えにならない教えがわかります。
ここからまた始まりです。
出雲も八雲の「雲」は、水蒸気の集まりです。
散らせば消えて無くなるものですし、何かの変化で生まれては雨を降らす事なく消えて行くものでもあります。
恵の雨となる「雨」が降らねば大地が潤うこともなく、川にもなりません。
母なる海から水を吸い上げるには水が蒸発して一度見えなくならないと、「雲」になることもないものです。
全ては「雲」を出ずるように巡らせて行かなくてはならず、水の形態は、「雲」「霧」「雨」「雷」「海」とした解釈の持ち方がある。
その全ての理を知る力を「霊」とするものでもある。
顕になる顕在化されている見えるものは、誰もが客観的に捉えられるものの、見えない幽事(かくりごと)などは「見ようとしなければ見つけられないもの」です。
見ようとしても見えない幽事(かくりごと)は、死後の世界や、黄泉の国のお話となり、そこに飛び込んでしまうと帰って来られなくなるほど隔たり遠い世界になってしまいます。
知る者と知らぬ者との間は、葦原中国で出会うものでもあるものの今の時代はそんな仕切りも見えないほど入り乱れてしまってます。
どれもこれも見えぬことを話しているとはわからぬものです。見えぬ世界を見えるように話すことのなんと難しきことか。
「奇しくも」という言葉の「奇」の文字に込められた意味や現象化する流れの中に神秘を見ることになる。
見える世界も、見えない世界も、触れなければ動かせないものです。
触れられないほど霧や靄のかかったものさえ、雲を掴むようなものの中から「雨」や「水」が滴り落ちてくる生命の流れを感じられると、何よりも大切なものがそこに隠れていることを感じ取って欲しいと、ここに訪れて分かりました。
荒々しい思いを鎮めに鎮めて行かなければ幸魂や奇魂に出会えないものです。
分かりきっている出来事さえ、分かっていなかったとすると、見失っていた天の理を見ることができるかも知れません。
心を晴れやかにしなければ見えず、晴れやかにしては雲はなくなります。
晴天続きでは、大地は日上がります。
太陽が隠れる雲が恵みをもたらすものです。
晴れやかな笑顔ばかりが真の答えであるのか考えなければならないものですが、暗雲立ちこめる雷雨が続いても生きられるものではないものです。
しかし、どんな荒々しい嵐の中でも雲の上には晴天が広がっていること、「大国主」として全てを知っているわたしがいるなら、全てを委ねて明け渡せる現実もあるものです。
振り返ることなく今を生きられます。
共に行きましょう。
神々しさを美しい自然や造形美から感じ取ったりする。
自然の中で見つける美と、人の手で加えられた美。それが重なり合う時だけ見られる美しさがある。
人の心が穢れるのは、「教え」が相対で生み出されるものだからだ。
「人に優しくしましょう」
とした教えも、
「人に冷たくすると立場を失い生きられなくなるから、優しくした方がいい」
とした一歩踏み込めば見えてくる理由がある。
教えは難しい。
「やりなさい!」と、命令形で強制させてやらせたら上手くいって感謝される『優しさ』がある。
「一緒にやろう」と共に行こうとすることで、「あなたが側に居てくれたから」と『優しさ』が生まれることがある。
「甘ったれるな」と突き放されたことで現実と向き合うきっかけとなり「あの時、ひっぱかられなければ気づけなかった」とした転換に繋がる『優しさ』などもある。
「耳タコ」ってキツく言われ続けられたからこそ身についた『優しさ』がある。
「信じている」としか伝えず、いつもそばから離れず何も教えず過ちをしでかした時も味方であり続ける『優しさ』は、気づくその時まで気づかない優しさなんかもある。
美しい優しさとは何だろう?
一瞬、一瞬過ぎ去る今という取り返しのつかない時間の中で、「全身全霊で魂込めて生きる」ことが出来ているのだろうか?
つい、隔たりを設けてしまい距離を取り、見えないところで陰口を思いつく。
言う、言わない以前に「思いが浮かぶ」そのものが『穢れ』だとは教えてくれる人はいない。
「雑念を祓え」
「邪念に呑まれるな」
など、もっともな表現で「穢れ」を祓うことを伝承している人もいる。
瞑想も祓うにはとてもいい手法だ。
この『穢れ祓い』を真剣に取り組み、優しさを備えるにはあらゆる「魔」や「邪」と向き合う必要が出てくる。
それは、「大切な人を失うかもしれない恐れ」と向き合う難題と立ち向かわなければならない。
その恐怖たるや、哀しみたるや、壮絶なもの。
向き合うよりは、誤魔化しやり過ごす方法を教えて、原因となった存在を悪者に仕立て上げて排除すれば「哀しみと向き合わなくてもいい世界」を作り上げられる。
意図するかしないかではなく「二度と哀しい思いがない世界にしたい」とした自我の働きが『死』という穢れに呑まれた概念であると気づけなくなるものです。
常世と現世の違いは「死の穢れに呑まれたか、呑まれていないか」である。
穢れると、様々なことがわからなくなり、人に優しく出来なくなる問題がある。
愛されているから厳しく躾けられることに愛を感じるが、愛されていない感覚の中で厳しく躾けられると罪悪感や劣等感しか育たず他者を貶めないと自身を確立出来なくなる。
こうなると、社会に適応出来なくなる。
瞑想も内観も役に立たないほど、自身の闇の深さが更なる苦境に陥らせるものとなる。
そして優しい人を捕まえられたら、『優しくしてくれ』と自立させない共依存を生むことになる。
『優しくしてあげなさい』
と、穢れに呑み込まれた人の闇を祓うことが私が出雲で受け取ったメッセージである。
頭が働かなくなる感覚から、抜け出せると世界は変わる。
抜け出すまでが大変であるから、多くの人が諦める。
自分の心と向き合える時間が生み出せる人や環境がある人は幸せである。
その環境を踏みにじって自分と向き合わないまま時間を潰す生き方は自我の最高の贅沢なことかもしれない。
物事は「幽事(かくりごと)」から見る世界と「顕事(あらたごと)」から見る世界とでは、意味や解釈が大きく変わるもの。
内々なる見えない心を統括する「大国主」が、優しさを持たぬまま国譲りをして「天照大神」とする外側に見える現実世界に任せてしまったら果たして平穏でいられるでしょうか?
もう一度、大国主を育て直して「幽事(かくりごと)」という「哀しみを隠したまま目を逸らしている心」と向き合わなければならないのではありませんか?
因幡の白兎という無邪気なあなたの心はイタズラをして鮫(ワニ)に皮を剥がれ、傷の治し方を「海水に浸り、風にさらす」方法という罰を課す事で治ると信じているのですか?
あなたが大国主なら、無邪気な自分の心をいつまでも罰したまま哀しみの牢獄に繋ぎ、傷に塩を塗るような真似をやめさせて救い出さなければならないのは「あなた自身が改めます」と立ち上がるしかないもの。
こうした知恵を与える存在を少彦名というが、「あなたが学ぶ気になった瞬間目に留まる」気づきを与える流れをもたらすものである。
大国主は優しい存在として伝承されている。
あなた自身も優しい存在であることを思い出して欲しい。
心に浮かぶ邪念や雑念を天照大神の眼差しで見て具現化させないで欲しい。
やめさせるには幽事をするしかない。
哀しみに暮れた死後の世界、黄泉の国に自分の半身を救いに飛び込む勇気を持って欲しい。
智慧の力を求めてくれれば、お力添え致します。
#大国主
#幽事
#出雲大社
#黄泉の国
出雲大社にある素鵞社(そがのやしろ)社✨✨
私が捉えるリーディングの世界観での解釈は「私が考えた」という解釈ではあるものの、どれも天から閃き降ろされた恩恵(ギフト)である。
「自然が答えてくれた」とか「突然閃いた」などのプレゼント的な要素だけで構成された価値観や解釈を提供している。
だからわたし自身知っていることなどない「無知」のままだからこそ手に出来する智慧を授かっていると捉えている。
見えない世界においての指標は「パワー(愛の力)」のみが頼りである。
空に浮かぶ雲に聖獣の姿を見つけられるのも「パワー」があるからだ。
何も手がかりもなく、身勝手な妄想や空想を語っているものとは違う。
道理がある。
神道という神と繋がり対話して学び高めていく道がある。
その中で古事記や日本書紀においての表記が、話によっては「霊的覚醒の手引き書である」と問うと「YES」と998の意識レベルで計測できるが、それはあくまでも内容を読み分け、必要な部分を明瞭に伝えられる前提があるからだ。
素戔嗚尊・須佐之男命(すさのおのみこと)などは、三貴子として有名であるが、意識の動かし方、使い方としてこれを認知することは困難である。
意識を上下させる気の動かし方の枠組みの部分をスサノオなどと表現するもので、上げ下げする意思の働きでは無いのが難しい。
鼻から生まれたと表現されているように嗅覚というものは脳幹に直結している直感的なもので、自身の心が「何にダイレクトに反応しているのか?」を見つける枠組みの高低差をスサノオと呼ぶものだ。
これは一人一人、あなた自身が「解っていても言葉に表現出来ないもの」の部分を指していて、表現性を正しく身につけないことには認知することも不可能なものである。
スサノオと大国主のやり取りも、スサノオの世界の高低差の枠組みに対して、大国主がどう窮地をくぐり抜けるのかを指しているのは、大国主は意識のエレベーターの枠組みの階層にあるフロアのようなものである。
各階に大国主の世界観があり、スサノオがそれが機能しているのか試すようなところがあるが、大国主からすればスサノオあっての変化や成長となる為、スサノオなく大国主は存在し得ないようなものである。
こうして構造など、「解った感覚」を持っていても、神道の世界観を解説するのは困難を極める。
情報量が莫大になるからだ。
天照大神や月読神との関係性なども自然と対話の中で「働き」について理解するが、それをどう実践して心を整えて行く「幽事(かくりごと)」を進めるには「なんと説明したらいいのか?」と言葉を繰り出せないほど表現が難しいものとなる。
こうした意識の在り方や動かし方、自我をどうすれば真我に至らせて神と共にある生き方に改めて行くかを話していきたい。
#素戔嗚尊
#須佐之男
#素鵞社
#出雲大社
#天照大神
#月読神
#大国主
アップしていた内容をもう少しまとめてみようとしたら、長くなりました。
はい、いつものことです。
まとめたものはこちら
要約すると、
「雲」って神さまと繋がる切っ掛けのところ。
「雲」には五聖獣って木火土金水の働きがあって、「青龍」「朱雀」「麒麟」「白虎」「玄武」ってのがある。
「朱雀」は火がたくさん集まって大きくなると制御しきれなくなることがある。
「朱雀」がバランス崩すと「大蛇(おろち)」になる。
さらには、八方塞がりみたいな状態に陥ると「八岐大蛇(やまたのおろち)」になってどうにもならなくなる。
そんなようなことを書きました。
見えない「幽事(かくりごと)」という世界を見てきて感じてきて、それでもって動かして改めてきた実体験に基づいての表現です。
#出雲大社に行って見てきた感じてきた
#素鵞社は実はとてつもなく重要なんだが
#大国主の優しさはあなた自身の真の優しさと気づいて欲しい説
#雲に神を見つける遊びから始めるといい
#そうはいっても禊ぎして穢れを祓い脳波はいつもシータ波モードでどうぞ
大国主という神さまをどう自分自身であるかを気づく道が神道とも云えるが、それを言い出すと、どの神々も自分の意識の有り様となる。
立場がかわり、時間の概念がない全ての時が同時に存在する「常世」の世界から見ると順番は、あるようでないものともなる。
大国主の国引きの姿の銅像が出雲駅の通りにある。
心優しい大国主は、「自分(あなた自身のこと)が国という人生を引いて行くなら、今ある環境と立場で出来うる最大限の最高の姿を見せる為に、内面の心をいかように鎮めて行く覚悟があるか」といった心情をあなたにもあると伝える伝説です。
過去の出来事を「ああしておけば」と悔やむ気持ちや、何度も思い返してしまうものは、全てを引き受けて背負い直して見つめれば「他に選択肢はなかった」といつも「今を生きる」ことが出来ます。
最善の優しさを出せているのか?
自分に問い、「悔いるつもりで悔いのない姿」で生きられるかを伝えてくれるのが大国主です。
「悔いるつもり」
とは、やれるだけやった後でも「その手があったか」と新たに方法論が見つかった時に大いに悔いる力のことを指します。
その人は自分とは別の発想を持ち、別の世界を渡り歩いたからその気づきがあり、自分より上の世界を知っていることになりますから、その人の苦労や辛さなどを自身に課すことをして来なかったこたについて「悔いるつもり」を持たせておくことを指すのです。
国引きは、自分の人生を背負うことです。
出逢う人との繋がりにおいて「助けたいのにその力が自分にない」時、「すまない、力になれない」という言葉を使いたくない人なら「悔いるつもりがある」として、負担を背負ってでも次の出逢う機会には「力になれる自身に生まれ変わっておきたい」と思うものです。
この道を行く心優しき大国主と同じ思いで生きる人は、背負うものが大きいので大変苦労します。
時に押し潰されて動けなくなることもあります。
死んでしまうような思いもする「諦めの塊」みたいな心境に陥ることもあります。
そんなどうにもならない心境においても見える顕事(あらわにごと)として、頼れる先を見つけられるなら、その人を頼ればいいのです。
人は一人では生きられません。
国譲りという自分の人生を一度死んだ気持ちになって譲ってみるのも道かも知れないと伝えるものです。
自分の足で歩かなければならない道を、他人におぶってもらうような体験もまたあるのです。
それは怖いものですし、保証などないのが人生です。
ただただ、内なる幽事(かくりごと)を整えてはじめて見えてくる世界があるのです。
ここから、伊勢に向かいます。
#大国主
#出雲大社
#出雲駅
#国引き
#天照大神
#国譲り
2023・1・19 〜まさみちさんのFacebookの投稿より〜
水たまりに映る雲✨✨
『雲』がいかに霊的で見えない世界を解るように表現する上で必要な比喩表現であることが伺える。
雲の中に青龍など龍神を見つけられても、治水工事の堤防や貯水湖を作るのは人の手だ。
結局は人が動かなければ何も始まらない。
鏡という「かがみ」から『が』を取り除いたら「かみ」に成るなどと、どこかの誰かが伝えていた。
三種の神器である、
剣と鏡と勾玉は、
剣は自分の姿を全ての人に真似られても平和であるか? と、問うようなもの。
鏡は他人の中に自分の我を映し出してはいないか? と見えない自分の心を見つめるもの。
勾玉は、対になる伴侶や家族のこと。または同じ世界を共有するもの。その人たちを通して世界が平和であるように見つめ合うこと。
そんな思いがある。
見える世界だけでなく、見えない世界にこそ、見える世界の全てを支えるものがあったりする。
そこを見つめられるといい。
水たまりの雲が映って見るには条件がある。
晴れているとか、角度とか、距離とかがある。
他人に自分の我を映し出すにも条件がある。
その条件を取り除けば、見るべき雲は水たまりの雲ではなく、空に浮かぶ雲だと気づかなければならない。
その知識では幾らでもその通りだとわかっていても、家族や伴侶などに映し出す自分の姿は見えないもの。
「幽事(かくりごと)」とは、幻を見て信じている人たちの気持ちを理解して行く道のりです。
幽霊っているの? いないの?
といった話にも通じて行くものです。
気に障るの「障る」って、何のことなの?
ある人は平気な話が、別の人には不快でたまらないって、何が起きてるの?
どうして同じように伝えているのに、別々に解釈が独り歩きしてしまうの?
「誤解だって、そんな事思ってない」
と伝えても、「嘘! 絶対に思ってる。わざとでしょ」
「わざとじゃない、信じてよ」
などのやり取りなど「幽事(かくりごと)」だと知らないだけ。
見えた、見えてないの話になる。
こうなると「証拠を出せ」の論理に入り、事実関係のみに基づく話をしようとなる。
それも国譲りである。
見えた事だけ信じようとする価値観はとても大事だ。
内面をどうこう言おうが、そんなもの本人がどうこうするしかないと他人が踏み入れられないものとされると、内心が整わないから学校も行けなくなり、仕事も出来なくなる。
見えることばかり追いかけても、見えないことばかり追いかけてもダメになる。
両方が見えていないとね。
顕事(あらわにごと)も、右眼の天照大神と、左眼の月読神がいる。
見える世界にも背景がある。
歴史がある。
月の満ち欠けで新月でないとわからないこともある。
それら顕事(あらわにごと)を支える幽事(かくりごと)を同時に見なければならないが、中々これが難しいし、見えない。
素戔嗚尊神は、根の国(奈落)、黄泉の国、葦原中国、高天原を行き来することが出来る。
何を持って顕事(あらわにごと)にするのか?
見えている人は「幽霊」さえ「見た!」「いた!」と信じたりもするが、見えない人には「嘘くさ」と相手にもしないものでもあったりする。
その両者を見るなら、どっちも本当だろうと価値観の違いを受け入れたりもする。
しかし、幽事を治められるなら、幽霊など本来なら存在しないものは存在しないとしてあるべき所に還すことも出来る。
消えていなくなり、二度と見ないようになれば「幽霊はいないから、消せた」とした理屈を伝えてられるようになる。
あるものは消せない。
消そうとしても消えないなら、消す必要のないものなのかも知れない。
理解をし尽くして行く道のりが鏡に映し出される自分の我を消し去る道のりとなる。
自分を知ること、自分の見る世界の全てを優しさに包み込んで見つめれば、本当のことがわかります。
#大国主
#出雲大社
#天照大神
#月読神
#素戔嗚尊
#伊勢神宮
2023・1・19
出雲から伊勢に移動している間に色々と記事が書けるのはいい。
また、長々と書いてしまいました。
要約すると、
「雲」について五行に絡めて深掘りしています。
「雷」という形状の意識に到達してほしいってこと書いてます。
自然と人の心は繋がり合っていることを感じてね。
海だけと空(そら)なんだって解釈持てるといいな。
それが解るには結局「雷」という建御雷神・武甕槌神(たけみかづちのかみ)ってことになるよ。
みたいなこと書いてます。
現在進行形で神の世界は続いているってことが解るといいなぁ。
#出雲から伊勢へ
#見えない世界と見える世界の両方を見ようぜ
#海に飛び込まないと海の世界はわからないよ
出雲から伊勢に移動している間に色々と記事が書けるのはいい。
また、長々と書いてしまいました。
要約すると、
「雲」について五行に絡めて深掘りしています。
「雷」という形状の意識に到達してほしいってこと書いてます。
自然と人の心は繋がり合っていることを感じてね。
海だけと空(そら)なんだって解釈持てるといいな。
それが解るには結局「雷」という建御雷神・武甕槌神(たけみかづちのかみ)ってことになるよ。
みたいなこと書いてます。
現在進行形で神の世界は続いているってことが解るといいなぁ。
#出雲から伊勢へ
#見えない世界と見える世界の両方を見ようぜ
#海に飛び込まないと海の世界はわからないよ
note
特急いずもで移動。
高速バスも使って乗り換えての伊勢入りです。
乗り換えの大阪でハプニング。
ちょいと迷子にw
そんな時な何かしらの想念に呑まれている時。
チャクラを整えるには草薙の剣の力を借りる。
リーディングして観念そのものを無に消し去るには十拳の剣を使う。
出来るようになれば、それが何かが解るが文字情報からは何を示しているかが解らない。
古事記や日本書紀に込められた意図や物事の本質を知るにはその人そのもので在らなければ見えないものがある。
出来るかどうか?
一人で空想か妄想かに耽っていると批判されそうだが、リーディングは求める人に「うなづいてしまう知の力を与える」から面白い。
幽事(かくりごと)など、出来なければ推論の域を出ない。
やってのけられれば真実として伝えられる。
形骸化した世界に命を与え直せる。
楽しくなってきた!✨✨✨
#草薙の剣
#十拳の剣
思考は現実化する✨✨✨
そんな言葉を聞いた事があると思います。
思考してなくても現実化している気がします。
偏頭痛や腰痛など、際限なくこの肉体に襲いかかる痛みが思考の結果なら、なんと自虐的な思考をしているのか?
病気も事故も怪我も「思考は現実化する」としたなら、思考の変え方を持たないと困るばかりです。
自ら耳を塞ぐ人、言われた事が出来ない人、言ってない事をやらかしてしまう人、「それだけはすると守れなくなり敵対しか出来なくなるからするな」と言われた事をやってしまってしまう人。
どうしたらいいの?
それを見つけて救い出して変えて行く道が神道にはあると思ってます。
それでも私は私がやっているリーディングなどの心理学は宗教ではないと信じてます。
歴史の中に見るものと違い過ぎると感じてますし、天に伺っても違うというので違うとしてます。
そんな事を内心思っているので「宗教ですか?」と問われると「違います。量子力もつれを使った心理学です」と答えます。
思考は現実化するので、量子もつれとした法則性に従って現象を変化に繋げる心理学です。
単なる読解力を極めているに過ぎない事です。考えれば到達するものです。
これも思考した通りです。
その為に何をどうするか、やるべき道のりを一つ一つ歩くだけです。時間ない世界において時間を生み出してきた歴史があるのだから、それらを紐解いて「今を生きる」に如何に集約出来るかにあります。
どうとでも生きられます。
どう生きてもいいです。
賛同が多い生き方の方がいいですが、私は賛同してくれる人が極めて少ない道を歩いてきてます。
ここからは賛同してくれる人が増えると信じてます。思考は現実化しますから。
楽しく生きられるなら、「どうにも生きられない人にも変化の道があると知らせられ感じさせられる道」を与えたい。
何故って「真道(まさみち)」って私の名前がそのように名付けられているから。
だから、「真の道がある」と伝えたい。
神道という日本古来から受け継がれている道と変わりないものを感じているだけです。
書物や歴史から学べませんが、書物も歴史がなくては身につけられないものです。
リーディング心理学、共に学びませんか?
#伊勢神宮
#天照大神
伊勢神宮外宮✨✨✨
手を合わせることで見えてくる世界がある。
そこに行くから解ることがある。
これまで見えなかった豊受大御神(とようけのおおみかみ)さまの働きを感じ取れたのが良かったです。
多賀の宮、土の宮、風の宮の働きも感じられました。
意味がわかると素晴らしさや壮大さを感じずにはいられなくなりますね。
#伊勢神宮
#外宮
#豊受大神宮
#豊受大御神
様々なところからメッセージが来ている。
問いかけなければ答えは得られない。
どのように創造して行くかは自分で生み出していける。
雲の中に玄武を見る。
「全てを伝えて行きなさい」
とのこと。
不思議や謎時の時代は終わりのようです。
#伊勢神宮
#外宮
#玄武
内宮の天照大御神さまの前に、外宮の豊受大御神さまがいらっしゃられる理由に合点がついた。
壮大な心と魂のシステムを形にしているのだ。
言葉で説明するよりも感じてもらうように出来ているし、参ればいいだけと、学が無くても信仰さえあればいいとしているのだ。
鳥居をくぐると、吹いてなかった風が吹き始める。
歓迎されていることを感じる感覚に包まれる。
ニヤけてしまうし、嬉しくなる。✨✨✨
風がメッセージを運んで来るので、
その風と一つになりようにして豊受大御神さまと繋がる。
「人は知っている中で豊かになる道を探してしまいがちであるのです。知らない道へ踏み出すには、改め直せる場所まで戻らなければならなくなります。その過程は豊かに思えないので道だと信じられなくなるものです。改めたいけれども、改められなくて動けなくなるものです。全てを受容して行く道もまた道なりと進み始められますと、未知なる道も豊かさだと信じて生きていかれるようになるものです。心して生きなさい。」
などと伝えてくれています。
ありがとうございます✨✨✨
#豊受大御神
#外宮
#伊勢神宮
伊勢神宮内宮の天照大御神さまのところにやって来ました✨✨✨
天照大御神さまとはどう繋がるれば? と探りつつ、吹く風に包まれて心地よく参拝する。
「何も見えない、何も解らないから聞いて見て覚えるものです。しかし、どうしてそれがそのようになっているのか? 教わった通りになる場合と、違う場合の意味や解釈は教えに準じてしまい、オリジナリティの答えを出さなくなってしまいます。その中でも自分だけでも見たい新しい世界に光を照らし映し出す世界を創造出来るとしたら、どんな世界を見たいかを司る様々な人々の眼差しのことをいうのです。」
繋がるも何も自然とそんな思いが流れ込んで来て、「ああ、そうなのか!」と深く合点がいきました。
大国主さまの幽事、
天照大御神さまの顕事、
そのように分けてみていたけれど、天照大御神さまの光は幽事(かくりごと)にも及んでいたとわかりました。
そりゃそうだ。
天岩戸に隠れても、隠れたその岩戸の中で天照大御神さまは輝いておられ、照らして下さっているとわかりました。
あらゆるものを照らし出す神さまのイメージなのだから、そりゃ黄泉の国だろうと、根の国だろうと照らしてはいたんだとわかる。
ただそれを天照大御神さまの目とするのはどうか? となるので、別の神さまの誕生となるのがわかった。
わぁ〜、そっか〜。
と、内なる気づきが訪れて満足行く参拝となりました。
また、細かな気づきやヒントを届けて行きますね!
#天照大御神
#伊勢神宮
#内宮
月読尊(つくよみのみこと)さま。
三貴子の一柱。
出雲の素戔嗚尊(すさのおのみこと)と伊勢の天照大神(あまてらすおおみかみ)を参るなら、月読さまも行きたいと立ち寄った月読宮。
全てのピースがハマった感が起きました。
なるほど、だからこれで、こうで、あーなんだ。
って、一人合点が行ってわかった顔しております。
月読さますげ〜って感心しきり。
伊弉諾(いざなぎ)さまの右目から生まれたと言う意味もわかりました。
ああ、本当、こうだからあーするしかなくこうなるのねって。
一人勝手にはしゃいでしまっている感覚に浸ってますが、全ては月読尊の働きがあっての気づきの道でした。存在をあまり意識し切れておりませんでした。
全ては伊奘冉(いざなみ)の為……。
自身の為であり、人の為であり、全ての為である。
ああ、なるほどね。
↑
相当感銘を受けている表現。
明日からクライアントのみなさまをお迎えして二日間、ワーク致します。
しっかと、魂を導けるよう努めます‼︎
#月読宮
#月読尊
#伊弉諾
#伊奘冉