2023年1月17日吉日〜2023年1月22日・23日
リーディングマスター・まさみちさん出雲大社参拝と伊勢神宮参拝、そして伊勢神宮参拝イベント
まさみちさんの近況とメッセージをお届けします。
Facebookの投稿記事より。
伊弉諾(いざなぎ)さま。
この月読宮では、伊佐奈岐とも書くようだ。
伊邪那岐も見る。
古事記や日本書紀での表記の違いも、何らかの見ている視点の違いや世界観の違いを指しているのが解るが「奈」の字が当てられている。
どの字も立ち位置の違いを教えてくれるが、知らない人からは「何の立ち位置?」と、まるでわからない。
そもそも高天原、葦原中国、黄泉の国、根の国など立ち位置が違う世界がある事を教えてくれているが、こんな事を書くと誤解され易くもなる。
身分差別などの発想だ。
そんなことなどなく、いかにして心を祓い清め、現世から常世に戻る道を開こうとしているが、それが本当に解らない。
神さまの話ではなく、人の話で心の治し方の道を要所要所で覚え易くまとめられている話であるが、神さまの話にしないと、読んでもくれないし、研究もない。
伊弉諾(いざなぎ)と伊奘冉(いざなみ)も、男性と女性と思われがちだが、常世と現世とした認知のズレを話しているところがある。
自分は愛に基づいて、深い信頼と愛で関わっていても、相手は反発して汚い言葉や情けない姿をさらすことがあるのをどうすることも出来ない関係性なども指している。
それが伊奘冉(いざなみ)さまの死だ。
自分と相手が分離している状態のことでもある。
今なら鏡が粉々に割れたら、その欠片全てに見た人を映し出すことが想像して欲しい。
この割れた鏡の一つ一つが切なる訴えをする伊邪那美や伊左奈彌がいるのだ。
これが伊弉諾(いざなぎ)には理解出来ない。
嫌い合う相手の傲慢さや、不正や非道なことをする価値観を「理解したいか?」と問われれば「理解したくもない」と思うものである。
この黄泉の国に堕ちた伊邪那美や伊左奈彌の醜女になった姿を月読が全ての割れた鏡のカケラを繋ぎ合わせて一つの鏡に戻せた時、伊奘冉は蘇るのです。
割れた鏡を三日月などに例えるなら、
繋ぎ合わせて一つの鏡に戻したものを満月と見る力のことを「月読」とするのです。
新月を見て、「月があそこにある」と解るような知性が必要ということです。
新月の場所も、計算して弾き出せば見えなくても「そこにある」と解る力の働きのことを「月読」とするのです。
まさにリーディングの力の働きかけと同じだと、ここで気づいたのです。
天岩戸に隠れた天照大御神を月読が全てを読み解いて形に表すことが出来るようになった姿を「八意思兼(やこころこもいかね)」です。
取り組む姿勢が月読で、出来た姿が八意思兼(やこころこもいかね)なのです。
バラバラに砕け散った伊弉諾の半身が世界中に散っているのです。
あなたが半身(伊奘冉・いざなみ)を探す旅に出る時、神道を歩いていることが解るものです。
男性でも女性でも「伊弉諾(いざなぎ)」なのです。
性別はもちろん意味がありますが、それだけではない道があります。
自分を中心に天と繋がり、真実を歩けば現世から抜け出せます。
あなたが学ぶと決めた時、欠けた鏡のカケラを拾い集めて読み解く「月読神」の右目が開きます‼︎
共に学びませんか?
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#伊邪那岐
#伊左奈彌宮
#伊左奈岐宮
ふと、「伊勢」の語源が気になったのでリーディングしてみた。
伊弉諾(いざなみ)さま、伊奘冉いざなみ)さまと、どちらにも「伊」がつく。
この「伊」って字もよく見かける気がする。
リーディングすると、
行き渡っている状態であり、
求めたものが与えられるところであり、
沁み渡るものであり、
手元に置いておきたくなるもの。
とした、ニュアンスが含まれている状態を「伊」と呼ぶようだ。
「勢」は、
激しいさま、
溢れ出しもの、
満ち満ちてこぼれ落ちる者がなきよう、
全てを内包している中から外へ、持っているもの全てを渡してゼロにしてしまうように。
と言ったニュアンスがあるようだ。
「伊勢」という響きは、
つつがなく、神の愛が人々を豊かに導き、共に助け合う中で尽きぬことのない優しさの中にあるところ。
としたニュアンスがあるようだ。
文字通り伊勢神宮はそのような場所になっているように思える。
とはいえ、この世界は名前の通りにならぬ不可思議な働きもある。
辛くなるほど、「神も仏もありゃしない」と、目の前の現実が望んだ結果や過程の一ページとは気づけぬものである。
この世はシンプルに「歓ばせ」ば「喜ぶ」ものである。
「歓喜し合う世界」であるだけだ。
そんなシンプルな世界にも関わらず「賛同できなくなる自分がいる」ものである。
それを祓い清め、笑わせてくれる場が「お伊勢参り」という出かけて帰るまでの一連の物語である。
行く前、行く途中、行き着いた、参った、楽しんだ、帰り道、帰りました。
この過程の中に神を見る遊びをしているのだ。
それぞれの楽しみ方でいい。
あなたも「お伊勢参り」しませんか?
#伊勢神宮
#外宮
伊勢神宮での三本の柱建てを行う二日間のワークが無事終わりました。
参加してくださった皆さま、ありがとうございました。✨✨
何から何まで神がかっていたような旅でもありましたし、三本の柱建てもここからの時代の変革には欠かせない儀式だったように思えます。
いやぁ、色々と凄かった。
みなさんも様々に自分の内なる気づきが起きたようで良かったです😊✨✨
神との対話である天照大御神さまとの対話も、必要なパイプが繋がらないと閃き降りて来ません。
閃いた内容をそこからどう処理して行けばいいかなども人同士のコミュニケーションが無ければ取り扱えなくなります。
「内なる気づきやメッセージはあなただけのもの」
と、内容に意味付けや変な解釈を与えることを禁じる人たちもいます。
これがスポーツなどに置き換えるなら、自己流が全てだって言うようなものです。
ホントに?
何故、心のことは自己流なの?
内なる気づきはあなただけのものなの?
なにそのいかがわしいスピリチュアルは?
なんて物理証拠に基づいて考える人だと、その不透明さ、見える化しないことに不信感を抱くものです。
神さまとのやり取りが歪んでいるなら、正してあげないと。
正せるだけの智慧がないと量子力学としての心理学など言いません。
今回は大きな変化でありました。
ありがとうございます✨✨✨
また、共に参りましょう♪
#伊勢神宮
昨日の話。
昨日の写真✨✨✨
新幹線で食べる駅弁は『名古屋めし』と『みそカツ』✨✨✨
それ以上にこの弁当を買える余裕があるのか?
くらいにタイトなタイムスケジュール。
モタモタしてはいられないがレジを並ぶ列と時計の睨めっこ。
自分のレジが終わっていざダッシュ‼︎
あなむちゃんとゆっこちゃんは先に搭乗して待ってくれている。
エスカレーターまで行って立ち止まり、後列にいたさっちゃんが気になる。
「二人で行かないと」
と、自分の足はさっちゃんを迎えに行く。
さっちゃんの荷物を手に取り急ぐがさっちゃん自身は新幹線の出発時刻ギリギリだと知らずモタモタ。
何とか飛び乗れて難を逃れる。
何だ?
この流れは?
心配なのは先に行って乗っているあなむちゃんが間に合わない事を気遣って降りてないか? ってことだ。
15号車両まで間に合わずに、7号車両で乗り込んだが、乗ったこと伝えてない! プチパニック。w
どうか、乗ったままで居ますように! って祈っちゃったよ。
乗ってくれていたけどね。
あー良かった。😂
久しぶりの緊迫感を味わいました。
何かがうまく巡って無いような。
でも、間に合っている今があるからこれで良いとした感覚も。
そこからさっちゃんと共にブロック外しして、ゆっこちゃんも含めて壮大な歴史絵巻の一端が紐解かれて無事に解決。
自分という弟の立場の不遇さと、姉という責任感ある立場から、不遇の弟を必死に庇っている世界観のカルマを見つけて外しました。
カルマは外さないと自分の世界を変えたくても変えられないもの。
自我ではどうにもならないもの。
言い聞かせや努力や勤勉に何かを身につけても覆せない津波となって人生を揺さぶり続けるもの。
それを世界は「発達障害」とかで括って対処療法を教えてくれるが、そんなものではどうにもならない閉塞感がある。
そんな抑圧が他人を通して見つけられるもの。
優れた解釈や賢さを持つ人がカルマ解消に全力を注がなければ、弱っている人はどうすることも出来ない世界がある。
呼びかけても応えられないカルマにハマっている人はどうしたらいいですか?
手を引いて、時には担ぎ上げてでも進み、その上で安全の所まで連れてこられたらカルマを外して解放しないと。
列車の時刻も何も知らないさっちゃんも私の姿。先に乗って待ってくれているゆっこちゃんもあなむちゃんも私の姿。
一つになって探さなければ解けないものがある。
分離したままでは見えない世界がある。
やっと一息つけた感が新幹線の間も、その後も続いて今日は爆睡の中でした。
新しく世界戦レベルのカルマと向き合いながら遅い朝を迎えて動き出しております✨✨✨
蘇りのワーク、黄泉帰りの旅となりました。
共に目覚めて行きましょう!
#黄泉の国
#黄泉比良坂
#カルマ